エリザベス女王がなくなられた
1971年6月、出張でロンドンにいたとき休日を利用してバッキンガム宮殿
の見物に出かけた。たまたまその日は女王の誕生日で女王のパレードがあり運よく
まじかで乗馬姿で進まれる女王を見ることができた。 当時45歳、まだお若かかった
という印象がのこっている。 あれから 51年。
8㎜フィルムのムービーを撮ったがどこにしまったか不明。
1971年6月、出張でロンドンにいたとき休日を利用してバッキンガム宮殿
の見物に出かけた。たまたまその日は女王の誕生日で女王のパレードがあり運よく
まじかで乗馬姿で進まれる女王を見ることができた。 当時45歳、まだお若かかった
という印象がのこっている。 あれから 51年。
8㎜フィルムのムービーを撮ったがどこにしまったか不明。
9日の午後3時30分で予約していたワクチンの接種に出かけた。場所は集団接種会場の堺市南区の泉ヶ丘センタービル。
30分ほど予約時間より早くついたが、待ち行列なくすぐに受付してくれた。すぐに予診、接種へて案内されスムーズに済んだ。
注射は報道されているとおり痛みを感じなかった。 接種後、15分の副反応観察時間をゆったりしたスペースで過ごし、異常無しで、退出した。
当日の夜、接種をうけた上腕部に痛みを感じたが、苦痛に思うほどでなく、それも翌日の夜間に消滅した。
報道を見聞きするとあちらこちらで予約とりで混乱を生じているが、堺市の場合円滑に進んでいるように思う。
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わたくしは82歳である。
5月9日にワクチン接種を受けることになった。
数日前に予約取りの呼びの殺到で業務を一時停止した横浜市などの例を見るにつけ堺市の予約システムはうまくいったとほっとしている。
予約は2回分一括で4月26日に行った。
午前9時スタートでインターネットを用いて試みたが、見慣れぬメッセージが返ってきたり、反応がなかったりでうまくいかず、電話予約に切り替えた。 根気よく電話ダイヤルを動かし続け、約1時間でやっとオペレーターにつながった。
オペレーターは親切な、落ち着いた女性でこちらの要望にそって予約をとってくれた。
接種は市町村の仕事らしいが国府の指導があるにしても大変な一大プロジェクトのように見える。時間がかかるのはやむを得ないと感じる。
スピードアップを願いたいのは今苦しんでいる大阪など緊急事態宣言下の地域への資源の傾斜配分である。自衛隊の投入はその一つであろうが、河野大臣には奇策を繰り出してほしい。
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住民投票で維新の推進する大阪都構想が否決された。
奇跡に思えた。推進派には府知事、市長、公明党それに
菅総理の影も寄り添ってうっすら見える中よく反対派が
勝利できたものだ。 昨日書いたジャンヌダルクの奮戦
も大きかったように思う。
一回目の投票の時とおなじ二重行政問題を市長さんが
繰り返しておられたが、大阪市をつぶしてまで解決する
課題であるかメリットとして力が弱かった。
少し前に、歴史も、伝統もある大阪府立大学と
大阪市立大学を統合したのはすこし乱暴の印象をもった。
大学の先生方には政治力もなく反対するすべもなく
府市統合の実績のひとつとなった気がする。
大阪の地盤沈下はわたくしの就職した時代、60年前
から言われ続けてきている。
制度いじりに費やしてきたエネルギーをこの問題に
向けて頂きたい。
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今朝、住民投票がはじまった。
この構想を推進する大阪維新の会のトップが市長、府知事を勤めて
おられるので推進派が勝利することは自明のことと思ってきてあまり
関心を持たなかった。
ところが、10月26日付けの読売新聞(夕)に「都構想 賛否拮抗」
の見出しを見てがぜん面白くなった。
たまに、テレビをのぞくと松井市長さんと女性の自民党市議団幹部
の方が激論を交わしておられた。
この女性幹部の方は、力のある王様、大王様を相手に奮戦する
ジャンヌ ダルクのように見えなくもない。
私は 、40年まえに大阪市民でなくなっているが、固定資産税
はずっと払い続けているので投票権を2分の1票ほど欲しい。
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テレビドラマ「半澤直樹」を見た。数年まえに評判であった劇
の続編とのことで、系列のテレビ局での激しい予告に好奇心を
そそられて今回初めて視た。
最初の話題は企業買収がテーマで、過去に自身の職業経験
がないことからストーリーを理解するのに骨が折れた。
ただ、ののしりあいのシーンは忠臣蔵を視ているようであった。
8月16日のテーマは、航空会社再建というわかりやすいテーマ
であったので、面白く見た。
ただ、劇中、突然生まれ故郷の志摩が話題にのぼり興味が増した。
志摩空港 が伊勢志摩サミットのさい建設されたげな
話に一瞬ホントかなと思った。
すぐに連想できたのは南紀白浜空港であった。乗客は白浜温泉
への観光客。
地元の和歌山県には古くから有力な政治家が複数におられることが
永年空港が栄えている要因であろう。
半官の航空会社の再建にどこの政治家がどのように関わって
くるのかの描写も次の日曜の楽しみである。
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追跡システムのQRコードの表示を泉北鉄道光明池近くの サンピアと
呼ばれる商業ビルの入り口で2,3日前に目にした。
この存在は知事さんのPRをテレビで見てよく知っていたので好奇心から
試みた。
手持ちのスマートホンのカメラでQRコードを読み込むと
メールアドレスを入力する枠が二つ表示されたので、家に置いているパソコン
のアドレスを2つの枠内に入力した。
送信を起動するボタンを探すと文章が何行かあったあとグリーンの
「登録」と書かれたボタンがあったのでこれを押して反応を待ったが無言、
説明文を読むと応答メールが届くとかかれていたので待ったが音沙汰なしであった。
きょうも、同じビルを通ったので同じことを試みた。ただし今回はメールアドレス
を携行使用中のスマートフォンのものにした。
結果は同じであった。
府のサイトの説明書を読み直して再度挑戦しよう。
このシステムの玄関口の表示はいかにも地味である。 QRコードと若干の説明文がA4かB4程度の
用紙に印刷されている簡素なもので人目を惹かない。
多色刷りの派手な説明パンフレットなど横にうず高く積んであれば好奇心で読んでくれる人も
いるかもしれない。
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平成30年7月西日本豪雨は甚大な被害をもたらした。 犠牲になられた方々にご冥福をお祈りするとともに被災された皆様にお見舞い申しあげます。
水害が起こるたびに、子供の時(5~6歳 昭和19~20年 正確な記憶ではない)に避難したことを思い返しているとともに子供や孫にうるさがられながら語っている。
大雨の日の真夜中、玄関の戸をはげしくたたく音がした。何事かを親は察したのであろう子供連れの7人家族はまだ子供でも歩ける程度の水につかった道を避難をはじめた。まず近くの紀勢東線の踏切に至り、小高くなっている盛り土の線路を伝い相賀駅(三重県南西部)に避難した。 その先お寺かなにかへ移動した。このことは記憶にないがあとで姉に聞いた話である。
大雨が去った翌日、家に帰ると床上まで浸水していたことがわかった。平屋の家であったので逃げ遅れていれば大変なことになっていた。
それより驚いたのは真夜中に避難路とした線路は盛り土がきれいに流されレールと枕木が宙に浮いた形になっていたことである。 我々が逃げてから程なく近くの船津川が決壊したのであった。 紀勢東線の 相賀~尾鷲間はかなりの間不通であった。
水につかった家や家財の整理や修復に両親は大変な苦労であったと想像するが、何の手伝いもできない子供であったのであまり具体的な記憶はない。
思い出すのは川の水が引いたあとの水たまりに魚が取り残されているのを面白がったり、下痢に悩まされたことである。
、この水害で家族を救ったのは、非常の合図の意味を察知して迅速に逃げるという行動に移った両親であった。 家族のメンバーは祖母、両親、女学生以下の子供4人であった。
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