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2018年7月17日 (火)

子供の時の水害の記憶

 平成30年7月西日本豪雨は甚大な被害をもたらした。 犠牲になられた方々にご冥福をお祈りするとともに被災された皆様にお見舞い申しあげます。

 水害が起こるたびに、子供の時(5~6歳 昭和19~20年 正確な記憶ではない)に避難したことを思い返しているとともに子供や孫にうるさがられながら語っている。

 大雨の日の真夜中、玄関の戸をはげしくたたく音がした。何事かを親は察したのであろう子供連れの7人家族はまだ子供でも歩ける程度の水につかった道を避難をはじめた。まず近くの紀勢東線の踏切に至り、小高くなっている盛り土の線路を伝い相賀駅(三重県南西部)に避難した。 その先お寺かなにかへ移動した。このことは記憶にないがあとで姉に聞いた話である。

 大雨が去った翌日、家に帰ると床上まで浸水していたことがわかった。平屋の家であったので逃げ遅れていれば大変なことになっていた。

 それより驚いたのは真夜中に避難路とした線路は盛り土がきれいに流されレールと枕木が宙に浮いた形になっていたことである。 我々が逃げてから程なく近くの船津川が決壊したのであった。 紀勢東線の 相賀~尾鷲間はかなりの間不通であった。

 水につかった家や家財の整理や修復に両親は大変な苦労であったと想像するが、何の手伝いもできない子供であったのであまり具体的な記憶はない。

 思い出すのは川の水が引いたあとの水たまりに魚が取り残されているのを面白がったり、下痢に悩まされたことである。

 、この水害で家族を救ったのは、非常の合図の意味を察知して迅速に逃げるという行動に移った両親であった。 家族のメンバーは祖母、両親、女学生以下の子供4人であった。

 

 

 

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