« JR京葉線 変電所小火で全線7時間運休 | トップページ | 64回目の終戦記念日 »

2009年8月11日 (火)

佐用町の水害に思う

 梅雨明け豪雨で中国地方など大きな被害を出したが、その直後、台風9号による集中豪雨で佐用町の川が氾濫して、亡くなられた方、行方不明の方合わせて20人をこえる大きな被害をだしている。 予想をはるかに超える豪雨に不意打ちされたような感じがする。

 昭和20年前後、三重県の相賀町(いまは海山町)に住んでいた。国民学校1年がその前の年であった。

 台風で大雨に見舞われたある日の、夜中に起こされ、多分避難指示が届いたのであろう、一家8人、(12,3歳が頭の子ども5人を含む)が、こどもで膝以下ではあったが一面の水の中を盛り土で高くなっている紀勢西線の踏切を越えてお寺に避難した。
 翌日、自宅に帰ってみると床上押入れの中段ほどまで浸水した跡が残り、父母などあとかたずけにおおわらわとなった。
 家の近くの線路の盛り土は洗い去られ、レールが宙に浮いていたことが記憶に残る。
当時、尾鷲までであった紀勢西線は相賀駅~尾鷲駅間がしばらく不通となっていた。

 大水は付近を流れる船津川の決壊によると聞かされた。 家からの避難がすこしおくれていれば一家全滅となっていたのではないかと、今回の佐用町の豪雨の最中、町営住宅から100mほどの学校へ避難する途中になくなられたり、不明になっておられる方々のニュースに接して思う。 ご冥福をお祈りしたい。

|

« JR京葉線 変電所小火で全線7時間運休 | トップページ | 64回目の終戦記念日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/60937/30922109

この記事へのトラックバック一覧です: 佐用町の水害に思う:

« JR京葉線 変電所小火で全線7時間運休 | トップページ | 64回目の終戦記念日 »