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2007年11月 3日 (土)

赤福製造日改ざん騒動 その4 御福餅と赤福

 赤福と類似の伊勢土産「御福餅」にも製造日の「改ざん」等があったと10月30日の新聞に報じられた。

 小学校中学年から中1まで(1948~52)、父の任地であった、三重県度会郡二見町で暮らした。 この町は平成17年に伊勢市に編入された。
 小学校への通学路に御福餅の本店があった。 父が店主と親しかったこともあり御福餅のことはずっと記憶の片隅にある。
 御福餅の店構えは老舗風であったので古くからの菓子屋を思わせた。戦中戦後、砂糖も米も入手困難な時代から復興期に入ったとき、いち早く赤福に似たあんこたっぷりの餅菓子をみやげ物として売り出して成功を納めていたようである。  たぶん、赤福は出遅れていたのであろう、小耳にはさんだ親たちの話では 赤福のばあさんが 御福餅に 敵愾心を燃やしているということであった。

  この ばあさんこそ、フジテレビで昭和50年に放送されたという「赤福のれん」の主人公の8代目社長夫人濱田ますさんであると、最近の読売テレビの報道で知った。このテレビドラマでは、気の毒に御福餅に擬せられた「おか福」は悪いイメージで描かれていたようである。 この報道によると材料入手難から1944年から1949年の間、赤福は休業していたとのことである。

 戦後の復興が進み、世間が落ち着くにつれ 過去のブランドがものを言い赤福が御福餅を凌駕して発展することになった。
 この ばあさんのお孫さんが赤福を大発展させ、おかげ横丁の立ち上げの立役者で伊勢商工会議所会頭をこの騒動で辞任に追い込まれた10代目社長の浜田益嗣氏であり、現11代目社長 典保  氏の父である。 

 益嗣氏がおばあさんからどんな躾を受けたのかは、たぶんいろいろと語られていると思う。 今の現役世代には理解できない砂糖のない、米も欠乏している時代に生きたばあさんは材料を無駄にすることを厳しく戒めたはずである。 使い残した貴重品の餡をすてるこなどもってのほかのことであったかもしれない。 お餅は保存食にできるからこれも再利用を考えても不思議ではない。
 、飢饉にも備えなければならなかった江戸時代を生き抜いてきた、老舗であるから、食べ物を粗末にしないというDNAは赤福家に伝わってきていても不思議ではない。
 ただ、時代が変わって砂糖が悪者にされるような飽食時代に、意識を変えられなかったのが悲劇である。 赤福、御福餅ともトップは世間の言う不正は知っていたと言っておられる。 過去から長い歴史で染み付いた、所謂不正はトップしか改めることは困難である。見過ごしてこられたことが悲劇を大きくしてしまった。
 騒動のおかげで、なつかしい、しかし寂しい思いがする。
 折りよくが折悪しくか、二見中学校の学年同窓会をまもなく有馬温泉で開くことになっているが、このことも話題になろう。

 

 

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