2018年8月13日 (月)

幻の手術

ある大阪の南部に所在する病院でのできごとである。

2018年6月12日泌尿器科のCT検査で膀胱に結石があると診断された。さらに詳しく調べるための7月20日に膀胱鏡による検査を受け7ミリほどの結石が確認された。この検査では石の取出しを試みられたようであるが大きさゆえに困難とされ別途手術をうけることになった。

 手術の名称は 経尿道的膀胱砕石術 で8月8日入院、9日手術、11日退院のスケジュールであった。

 入院の前日、かかり付けの泌尿器科の開業医の先生(件の病院を紹介していただいた方)の定期的診察をうけた。 エコー検査でこれまで観測されていた結石がなくなっていると知らされ、入院時に主治医にこの旨を伝えるように言われた。

 8月8日入院。 、主治医に開業医の先生からの伝言を伝えるとすぐにCT検査をされ結石は認められないとの結論になった。 小便とともに排出されたのであろうということである。

 手術を免れほっとして、同日退院帰宅した。 本当に自然に出て行ったものか半信半疑で不気味な気もしている。
 

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2018年7月25日 (水)

子供の時の水害の記憶(2)

 水害の発生日などもう少し詳しく知りたくて、三重県紀北町へ問い合わせた。
 すぐに危機管理課よりご返事をいただいた。

 昭和19年6月6日の夜から翌朝にかけて降った集中豪雨で当時住んでいた相賀町の208戸の床上浸水をはじめ多くの被害があったとのことで、これまでの漠然としていた記憶がすっきりとした。

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2018年7月17日 (火)

子供の時の水害の記憶

 平成30年7月西日本豪雨は甚大な被害をもたらした。 犠牲になられた方々にご冥福をお祈りするとともに被災された皆様にお見舞い申しあげます。

 水害が起こるたびに、子供の時(5~6歳 昭和19~20年 正確な記憶ではない)に避難したことを思い返しているとともに子供や孫にうるさがられながら語っている。

 大雨の日の真夜中、玄関の戸をはげしくたたく音がした。何事かを親は察したのであろう子供連れの7人家族はまだ子供でも歩ける程度の水につかった道を避難をはじめた。まず近くの紀勢東線の踏切に至り、小高くなっている盛り土の線路を伝い相賀駅(三重県南西部)に避難した。 その先お寺かなにかへ移動した。このことは記憶にないがあとで姉に聞いた話である。

 大雨が去った翌日、家に帰ると床上まで浸水していたことがわかった。平屋の家であったので逃げ遅れていれば大変なことになっていた。

 それより驚いたのは真夜中に避難路とした線路は盛り土がきれいに流されレールと枕木が宙に浮いた形になっていたことである。 我々が逃げてから程なく近くの船津川が決壊したのであった。 紀勢東線の 相賀~尾鷲間はかなりの間不通であった。

 水につかった家や家財の整理や修復に両親は大変な苦労であったと想像するが、何の手伝いもできない子供であったのであまり具体的な記憶はない。

 思い出すのは川の水が引いたあとの水たまりに魚が取り残されているのを面白がったり、下痢に悩まされたことである。

 、この水害で家族を救ったのは、非常の合図の意味を察知して迅速に逃げるという行動に移った両親であった。 家族のメンバーは祖母、両親、女学生以下の子供4人であった。

 

 

 

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2017年1月18日 (水)

海外紀行1971-1-18

 1971年1月18日。
  サンフランシスコ ミッション通り 814番地のサンフランシスコ湾岸鉄道の本社を訪問。
当時、最新技術を取り入れ高度に自動化された鉄道を建設中であった同社でその実態を4か月ほどお邪魔して勉強させていただくことになっていた。

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2017年1月17日 (火)

堺市の木造住宅耐震診断を受ける

 昨年末、新聞の折り込み広告(公告と言った方が適切か)に堺市が古い木造住宅の耐震診断を無償でやってくれるとの記事があった。 
 我が家は昭和53年築であたらしい耐震基準には拠っていないので堺市役所の耐震化推進室に診断を申請し、今日1月17日 堺市から委託を受けた3名の耐震診断員による実地調査を受けた。 室内、屋根裏、床下などに入り写真を撮ったり、寸法を測ったりしていかれた。
 診断結果は堺市から知らされるとのことであった。
 これにより耐震工事をやるかどうかは悩みの種になるであろう。

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2017年1月16日 (月)

海外紀行1971

 1971年1月16日羽田をたってサンフランシスコへ向かった。初めての海外旅行。約8月の予定。写真などこれまで整理したこともなかったのでこれを機にやってみたい。
 宿泊先は ブッシュ通り590のビクトリアホテルであった。

 

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2016年1月 8日 (金)

短命なLED電球 その3

 短命に終わったパナソニックのLED電球についてメーカーの相談窓口に1月8日に電話をした。
 丁重な応対でこちらの電球の使用環境をたずねたあと同等の規格の交換用LED電球(問題のLEDは製造終了しているとのこと)を送ってくれることになった。

 シャープ、パナソニックの対応に当然とは思いながらありがたくも思うとともに他の信用のおけるメーカーは同等のことを行っているのであろうと推定する。
 テレビで総理大臣の口から照明はすべてLED化するとの発言を聞いたが、これを実現するには公称寿命40000時間が保証される電球がほしいものである。

 

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2016年1月 7日 (木)

短命なLED電球 その2

 3個の電球からなるペンダント型照明灯をLED化したが、先日の1球目に続いて2球目のLED電球が2015年12月10日に切れた。シャープ製のDL-LA11ANである。 予期しているよりずっと短命であったので今度もメーカーの相談窓口に電話して新品と交換してもらった。

 新年に入り1月4日に別室のLED電球が瞬きはじめた。 7日には点滅が激しくなり使用に耐えず60wの白熱球に戻した。

 きれたLED電球はパナソニックのLDA11L-G/W 100V 11.2Wであった。 この電球の
使用開始は2012年12月28日、延べ点灯時間は約15000時間であるので 公称4万時間よりずいぶん短命であった。 メーカーの相談窓口に問い合わせてみたい。

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2015年11月12日 (木)

短命なLED電球とメーカーの対応

 1年ほど前に白熱球から交換したシャープ製のLEDランプ(7.8W)が点滅をくりかえしたり正常にもどったりの不安定な状態が数日続いたあと機能をうしなった。ただ、ランプを触ると温かく電力は消費している状態であった。
 

 白熱球のごとく短命であった。 LEDランプには、光るダイオード素子の他に交流を直流に変えたりダイオードへの電流を制御するなどのためにかなりの電子回路が組み込まれているらしいのでその故障が短命の要因だろうと半ばあきらめることにした。

 しかし、このようなことがよくあることか参考に聞きたいと当メーカーのお客様相談窓口に電話したところ即座に新品のランプを送ります、故障球は指定の宅配便で返送してくださいとの返事が戻ってきた。

 先方からは、LEDの型式番号、おおよその使用期間、使用状況(調光器の使用の有無、取り付け場所など)の質問があった。たぶん製品改良のための情報収集であろう。

 代替品のランプは電話をした翌日に届いた。LEDは高価なものであるのであわてて買わなくてよかったとの思いである。

 LEDランプに保証書がついていたかどうかは記憶にないが、蛍光管や白熱球に保証書がないから多分おなじことと思われる。

 今回は保証書類なしでも、メーカー側のほうが積極的に交換してくれる姿勢とみた。このような対応は寿命数万時間を喧伝する業界として申し合わせているのではないか。

 インターネット上で、パナソニックが同じような対応をしてくれたとの記事が見られた。

 

 

 

 

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2015年4月24日 (金)

シャープ本社前を通る

 大阪市東住吉区の寺にある先祖の墓を久しぶりで参った。 この墓地には早川電機(現シャープ)の創業者の早川徳治氏の墓所も近くにあり、最近のシャープの経営の立て直しの話題には関心をもっているし、うまくいってほしいと思う。

 高校、大学の時は、シャープ本社ビルの比較的近くに住んでいたので、売却されると聞きさびしい思いもする。

  帰宅の途上にスマホで本社でなくなるであろう建物の写真を撮っておいた。

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